2010年2月16日火曜日

限りなき時と空とのただ中に 小さきものの何を争う(菅野須賀子さん)

同志の転載記事を読んで、今日のタイトル掲載の言葉を思い出しました。
http://acclaimcollective.blogspot.com/2010/02/100100100.html

また向井孝さんが書かれた本「アナキストたち<無名>の人びと」の中のある箇所に以下のような記述があります、

大正11年1月23日、「山梨民報」自由投稿欄に大堀近雄の筆名で『1月24日』と題する一文がのった。
その趣旨は、
「ああ1月24日だ。彼等が永遠の怨恨を残し後事を同志に託して・・・・・・その後一昔を過ぎた。彼等の
中の一人の女は今自分の生命を絶たれると言う最後に臨んで・・・・・・後世必ず私どもの主義に共鳴し私共の行為を是認・・・・・・・と言ったということである。彼等は生命を当時に捨てて未来に残した。必ず近き将来、彼等の流した血汐の報はれる時が来るに相違ない。」
幸徳大逆事件の真相がほとんど闇に隠され、10年を過ぎて、語ることもなお恐れられた時代に、良幻は命日を迎える菅野スガらを想起し、その思いを継ぐものとしてこのように書いたのである。


自分は、大して<日常的に>なん~もしてないですが、ふとした時に「アナキスト」と呼ばれた方々の色んな言葉を思い出します・・・。
その思い出した時の感情は、どう書いていいか分からないもので・・・書くと、くさい言葉(中学の時に好きだった人に告白の手紙を渡す時のような・・・)になりそうです・・・。
上記のシンポに参加する小松さんの書かれた本「大正自由人物語」の本の中の言葉にも現在を生きる(!?生きるとは何か!?生きてるのか、オノレよ!?みたいな・笑)一人の<パンクス>として影響を受けました。

また<われわれ>にとって、われわれの<先達>の行為は、ただ「でっち上げ」だったという事にしていいのか!?という思いがあります、それでは先達の行為の意味が薄れるのではないか!?ただの美談みたいな話で終わらせてはいけない!!と今、パンク同志と話したとこなんですが・・・。
今も続く<われわれ>の先達にとっては、gotcha!they are bastard!だと思ったんだと思います。
そこを!!薄めたらいけない!と思います。
こういう議論は、竹中労さんの本にもありましたね。

*また「幸徳大逆事件」と言われるように、誰か一人の名前を強調する事を自分は好みません!!!!!

また「初期衝動」という事で、最近CRASS、CONFLICTを特に改めてよく聴いてます(笑)!!
この2バンドが、gotcha1977のこの20年の原点ですから(笑)。


今月の28日、金あったら東京行きたい~(笑)、ホントに!!
色んな方々と会いまくりたいたいです、人見知りしますが・・・(笑)。一杯、芋をくれたら大丈夫ですが(笑)http://acclaimcollective.blogspot.com/2010/02/lliance-1st-lp-release-gig-resonant.html

それから、大事な事ですが、今後!!A-cclaimからリリースされるGOTCHAの音源やアートワークへの協力してくれた東京のみなさん、どうもありがとうございます!!(gotcha1977)